電子書籍『宗教からの提言』の配信をスタートさせました。
・なぜ新興宗教問題がおきるのか
・なぜ日本人は浪費にきびしいのか
・なぜ日本人は宗教を理解できないのか
・なぜ離婚がカトリックでは許されないか
・現代の盲点とはなにか。
・日本人の内面を支えているものは何か
人が生きるとはどういうことか。
評論家・キリスト教徒の山本七平が、宗教の視点から現代や日本人のあり方を問う。
荒野をさまよう現代人へのメッセージ。
【著者略歴】
山本七平(やまもと・しちへい)
評論家。ベストセラー『日本人とユダヤ人』を始め、「日本人論」に関して大きな影響を読書界に与えている。1921年生まれ。1942年青山学院高商部卒。砲兵少尉としてマニラで戦い補虜となる。戦後、山本書店を設立し、聖書、ユダヤ系の翻訳出版に携わる。1970年『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。日本文化と社会を批判的に分析していく独自の論考は「山本学」と称され、日本文化論の基本文献としていまなお広く読まれている。1991年没(69歳)。
【抜粋】
〔ヤコブは〕成人したとき神と争った。
彼は天の使いと争って勝ち、泣いてこれにあわれみを求めた。
「ホセア書」十二章四節、五節
『聖書』の中に「注解者の十字架」といわれる箇所があり、これもその一つだそうである。「注解者の十字架」とは、なんとも注解の方法がないだけでなく、日常的信仰的体験からみてありえないことのように見え、同時に、『聖書』に「こんなことが書いてあるはずはない」と思わざるをえない箇所をいう。
その点、この箇所は確かに一種の衝撃をうける。いったい全体、人が全能の神と争って勝つとはどういうことなのか。また勝った人(ヤコブ)が負けた神(天使)に泣いてあわれみを求めるのはなぜなのか。
(中略)
人が神と争う、すると――まことに困ったことだが――人が勝つのだと『聖書』に書いてある。恐ろしい、こんな恐ろしいことばがあるだろうか。
人はそれを信じたくない。だから読みかえたがる。しかし、すべての読みかえはおそらく無意味であり、このことばのとおりで、人が神と争えば、『聖書』に記されているとおりに、必ず、人が勝つのである。そして、このことばの正しさは、一人の人の生涯にも、人類の歴史にも、おそらくそのままに証明されているであろう。
■目次
1 「幸福」と「科学」の間――病床つれづれ草(絶筆)
2 百万人の最短反応
3 日本人の宗教性「本心」を探る
4 『聖書』とはどのような書物か
5 日本と一神教世界との出会い
6 『聖書』における医の位置
7 啓蒙主義と人間の生き方
8 普遍を超えるもの
9 『新約聖書』と現代
10 負けること勝つこと